お前はずるいやつだ
ひとから、
お前はずるい!
と言われたらどんな気持ちになりますか?
おれは、言われたくなかったんです。この言葉。嫌な気持ちになるから。
なぜ嫌な気持ちなになるのか?
掘り下げて考えてみました。
どうも人様が見てる、とかひとから恥ずかしいやつだと思われるのが嫌なようです。
またルールを守れない、守らないことはいけないという思い込みもありました。
じつはこれって自分がひとにしているジャッジそのものです。
ひとの奇抜な行動をみては恥ずかしいやつだとさげすみ、ルールを守らない人をみてはイライラしている。
自分がやれないことをやっているからうらやましいんですね。
そしてこれが、自分の限界を作っている。ここを自分の限界としています。
暗号通貨(仮想通貨)をはじめる4〜5年前から自分のリミッターをはずしたいとずっと考えていました。
具体的に行動もすることはありましたが、いまふりかえるといままでの思考の延長線上での行動でした。
結局なにも変わりませんし、継続した実践にはつながりませんでした。
ただ、
ひとつよかったのは日々感じたことや気づきをメモをするということを継続していたことでした。
それを続けるなかで、
ひとからずるいと言われることをやる
というフレーズが降りてきました。
このフレーズが降りてきてから数ヶ月後に暗号通貨(仮想通貨)に出会いました。正確に言うと数年前に一度暗号通貨を知る機会があったのですがそのころのおれは胡散臭いなあ、詐欺師か、と考えて調べようとすら思いませんでした。
結局、自分のアンテナを「ひとからずるい言われることをやる」ことにチューニングしたおかげで暗号通貨を発見できたわけです。
いままでお金のことを考えて行動するのは汚いことだという思い込みがありました。
ですから、
投資や投機なんかはもってのほか。
ひとは自分の身の丈で汗水垂らして働いてお金を稼がなくてはならないと思っていました。
そんな自分にとって
新しい投資、投機分野である暗号通貨(仮想通貨)をはじめることはまさにうってつけでした。
ひとからずるいと言われることを実現するため暗号通貨投資をはじめました。
「ひとからずるいと言われる」のように
ひとからどう思われるかを基準にするとひとからどう思われるに縛られ続けるんじゃないですかと言う疑問をいだいた人もいるかもしれません。
自分の人生なんだから
ひとからどう思われるかなんか関係ないとよく言われるし、本やブログにもいたるところに書かれています。
そしてそう思えたらどんなに楽かと自分も思います。
でも、
そうしたくてもどうしても気にしてしまうのです。ひとがどう考えているのかが。
それを言う人たちは元々ひとのことが気にならない人か、それを克服した方法をうまく伝えられない人だと思うようにしました。自分とは別の世界に住む人かその世界の住人になったけどそこは導く方法を知らない人なんだと。
結局
おれはおれと言う人間にあっていると思う方法でやるしかないんです。
だからそれを逆手にとってひとからずるいと思われる行動をすることで、逆説的にひとからどう思われるかが気にならなくなるんじゃないかという仮説をたてていまふ。
自分が過去こういうことはしたくないと思う行動をとることで、自分を縛る思い込みが相対的なものであり、それを手放すことができると考えています。
あなたはどのチャンネルにチューニングを合わせていますか?
そのチューニングは自分が幸せを感じる、または今後感じられることにむかってされていますか?
おれは
ひとからずるいと言われることをやり続けます。